過去と今。
もっと変わっていくために、前に進むために。いずれはしようと思っていた話。
再スタートした今したいと思いこのタイミングで。
過去と今のことを。
過去が闇深いので苦手な方は見ないでくださいw
私は小学校6年間あるバレーボールのクラブチームに所属していました。今でも6年間続けられていたことに驚くけど、
私は指導者からの体罰と言葉による虐待を受けていました。
小4くらいまでは体罰に関しては軽く頭を叩かれる程度でした。
最初はユニフォームをもらうことが目標になるわけで、小2の私はユニフォームもらえるように頑張る!ってたぶん言ったんでしょうね
監督から返された言葉は
「お前には無理だよ」
でした。
大人ってこんな簡単に子供の夢を壊せるんだなぁって。
小3頃には自分が期待されてないことくらい気がついていました。
それでも学年が上がりもっと上手くなれば認めてもらえると思っていました。
年々監督からの当たりは強くなって、完全にターゲットにされたのが小5からでした。
練習に行くたびに殴られて、蹴られて、パイプ椅子だってとんできたし、首を締められたこともありました。顔面ボール当ては日常茶飯事、中身の入ったペットボトルは腿に命中してしばらく痛みで泣きながら学校に登校していた時期もありました。
どこの世界に真面目にストレッチしていただけで殴られる小学生女子がいるのか分かりません。
身体中傷だらけ。
誰も助けてくれない。
それよりもきついのが言葉でした。
毎日のようにお前なんかいないほうが良かった、お前は本当にだめだな、下手くそ、ブサイク、、、、、
覚えていないくらい沢山罵倒されてきました。
足が動かなくなってまともにプレーすら出来ないこともありました。
精神的におかしくなり始めた頃には、練習前は腹痛と吐き気が必ず起きました。かなり高頻度で大量の鼻血も出ていました。
病院に行ったら当たり前だけどストレスだと。辞めるか、休むかしなさい。って言われて、一応コーチにはそれを報告したもののコーチは監督にもそれを伝えてしまって、監督からは「ちょっと怒られたくらいで病気になるな」って言われました。
子供の弱さとか、人の脆さとかわかんない人でした。
当時の私の口癖のように言っていた言葉
「死にたいけど、死にたくない」
自分が死んだらどうなるかって想像を毎日してはこの言葉を泣きながら言ってた気がします。
ここで、こんな環境に私を居させていた両親に非があると思うかもしれないですけど絶対的にそんなことはありません。
母には辞めていいんだよ。って言われていたけど、負けず嫌いな私はそんな状況でも5年間も頑張って続けてきて今辞めたら負けだと思う。辞めない。って言いました。なのでこれは私の意思です。
父は仕事が忙しくそんな中娘がこんなことになっていることなんて話すことなんてできませんでした。
母は私がおかしくなり始めてからはいつも、練習の行き帰り1人にさせたら自殺するかもしれないと思っていたみたいで、電車賃も安くないのに毎回練習に付き添ってくれました。
両親は私の命の恩人です。
母がいなかったら私は死んでいたかもしれないし、父が仕事を頑張ってくれているおかげで家では一切不自由の無い生活を送ることができていました。
そんなこんなで卒団式でさえ罵倒されながらも無事に卒団することができたのですが、そこからがまた苦しかったです。
あんな環境にいた私は
対人恐怖症
になりました。
また、感情を無くすことで身を守ってきた為に、本音は言えなくなり、感情を出すことが苦手になり、心から笑うこともできなくなり、
本当の自分すら分からなくなりました。
人との距離感も分からないし
人が怖いし
嫌われるのも
殴られるのも
悪口言われるのも
怖い
一生懸命に人に話を合わせ、人が面倒くさいと思うことを率先してやって、頼まれたら断らないいいこちゃんになりました。
その時の私のあだ名は天使でしたw
どうにもこうにもとにかく生きづらい。
ありがたいことに友達には恵まれました。本当に優しくて素敵な友達に囲まれて
中学3年間でほんの少しは良くなったのかな?って感じでした。
高校に入学し、中学生の時に観た「屋根の上のヴァイオリン弾き」に魅了された私は演劇部に入りました。
これが私にとってはかなり大きなきっかけでした。
演劇は感情解放が必要になります。
そのおかげか演劇を始めてから笑うことも増えたしだいぶ人が怖く無くなりました。
だけど変わらず私は演劇部でも期待されるようなことは無かったのでそこは苦しかったです。
ただ人から必要とされたかった。
演劇三昧の高校生活。私は演劇が大好きになりました。
だから高校3年生の12月に舞台のオーディションを受けました。ありがたいことに出演させていただけることになり1月から稽古が始まりました。
とても驚きました。
初舞台っていうのもあったかもしれませんが、
頑張れば頑張るほど評価を頂けました。
ちゃんとその舞台に必要な人間として見てもらえました。
お客様からも温かい言葉を沢山頂きました。
生きていることに幸せを感じました。
その後も有難いことにオファーを頂いたりオーディションを受けたりしていくつか舞台に立たせて頂きました。
その過程でだいぶ感情を取り戻し生きづらさが減っていきました。
でも分かる人には分かるみたいで
「いつか心から笑えるようになるといいね」
「1人で生きていけるくらい強い子」
などと言われました。
そして「星の王子さま」で今所属させていただいているREDNOWLAND、代表の鹿さんに出会いました。
全く違う界隈で芝居をしていた私に舞台監督としてお世話になった井草さんから王子役をやって欲しいと声をかけて頂いたことがきっかけでした。
まずこんな私が名作の大役を頂けたことが幸せでしかたなかったです。
運が良かっただけかもしれないけど、頑張ってきたことが認められたような気持ちになりました。
私は必要とされているんだって思いました。
最初は今では考えられないほど鹿さんのことを警戒していましたw
だけどこの方は、
私の存在をちゃんと認識してくれました。
それがどんなに嬉しくて幸せなことか。
いらないと言われ続けてきて、必要だとも言ってもらえない。これまで私のことをちゃんと見てくれる人はほとんどいませんでした。
そして所属したいと思う大きな決め手となった、
台本を読んで驚きました。
私が苦しんできたことがそのまま言葉になっていました。
しかもそれがとても美しくて、繊細に創られていました。
こんな作品はこの人にしか創れない。
この人の元で芝居がしたい。
そう思いました。
少なくとも1人は私のことを認識してくれて、居場所を作ってくださってる。
それがあるだけで生きづらさはかなり緩和されました。
それからは経験や得るものも増えて、どんどん人間らしくなりました。
本音とか、不満とかちゃんと少しずつ出せるようになってきて、それはまるで性格が悪く汚いものになっていくようで嫌だなって思うこともありました。
それでも昔の自分より今の自分の方が何百倍も人間らしくて好きです。
そして今、まだもちろん生きづらさは少なからずあります。それでも私を必要としてくれる人、仲間、先輩、友達、応援してくださる方々、芝居をやらせてくれて応援もしてくれる両親のおかけでやっと
生きていることに幸せを感じています。
演劇は
私がどんな人間か思い出させてくれました。
感情の出し方を教えてくれました。
人との距離感を取れるようにしてくれました。
人への恐怖を少なくしてくれました。
自分に自信をつけてくれました。
笑顔をくれました。
苦しかった過去も経験値へとプラスに変えてくれました。
素敵な出会いをくれました。
芝居をすることは生きること。
言葉にすると嘘っぽくなるからしたくなかったけど。
これからも舞台上で生きる姿を沢山の人に観て頂けるように、そして皆様の生きる活力となれますように、精進していきます。
新川眞白